2014年2月28日 (金)

医学の発展は人生行き先に大きく関わる

昨日、近大病院にPECTーCTを受けにいった。
主な目的は、臓器周りのリンパももやもやをはっきりさせるため(がん転移かそうでないか)
すい臓の質を決めるため(ガンの影響か、別物ものか)
だったが、さすがというか、
PECT-CTは、私の人生に大きく関わる
大きなものを見つけてきた
背骨にはっきりと映る癌であろ
これで一瞬にして手術の可能性はなくなった
「きろう」と言っていた医師の顔はこわばっていた

こうなると抗がん剤ということになる
一時間半もかけて通う意味はほとんどなくなり
「ありがとうございました」と丁寧にお礼を言って
今まで40日お世話になっていた病院に連絡をとる
主治医は快く受けてくれた

また、私の行き先はかわり、また、歩み始める

それで、このPCは、またまた操れなくなる
携帯から、また、ぼそぼそときますね。よろしく。

2014年2月26日 (水)

本当におひさしぶりです

やっとブログを更新できました。
ううです。自宅に帰ったのです。

この期間、本当にたくさんのご心配、アドバイスありがとうございます。

こごろうさん、アールグレイさん、りんふうさん、defさん、よんさん、りんりんさん、82ーさん
こなつさん、はにぃさん、猫まんなさん・・・どれだけみなさんの言葉に励まされたかわかりません。40日過ぎて一昨日転院し、昨日退院してきました。おかげで気力は落ちていませんが、絶食とベッドのでの生活は、体力をかなり落としています。ふらついたり、つまずいたりが絶えず・・・・10は年を撮りました。今は、退院後は点滴はないので、少々の少量と
病院からだされた栄養ジュース繋いでいます。明日は、PETーCTで・・・その後診察、私の
大きな運命は決まります。

今は24時間効果の痛み止めの貼り薬と、頓服の痛み止めの座薬を使ってしのいでいます。遅々として治療が進まないのがじれったいのですが、それも、病気の内容がなせる技
と思っています。

昨日まで息子が帰国していましたが、今日は一人。痛みがきたら救急車にのりなさいという
医者の指示ですが・・・・・

2014年1月15日 (水)

少し早いけれど・・・

「少し早いけれど・・・」と言って娘が誕生日プレゼントをくれました。

 Photo 
『ガネーシャ』象の頭をもった神様です。学問や商売や・・・はたまた幸運を呼ぶとか言われています。高さは、35センチあって、結構重いものなので、玄関のポーチに置くことにしました。守り神になってくれるかもしれませんね。

我が家には、以前娘が買ってきたガネーシャがもう一つあります。

__

これは、15センチの小さなものなので、下駄箱の飾り棚に置いてあります。

1月は、お姑さんの誕生日なので・・ふと、私のことももうすぐやなあと思ったようです。
お姑さんには、ファーの付いた上品な手袋にしたそうです。まあ、イメージがずいぶん違いますが、まあ、「お母さんは、すぐに騙されやすいから」といつも心配している娘なので、やっぱり何かお守りのような気持ちでしてくれたのかなと思います。

 

 さて、一年間続けてきた講座も後2回・・・今週末には、送別を兼ねた新年会があります。
もう通うこともなくなるのかなと思うと、寂しいけれど・・・また、出会った縁はつながっていきますからね。

 あっ!明日のテストの勉強しなくっちゃ(o^-^o)


2014年1月12日 (日)

すぐ来てください

またまた帰って来た娘に
例のごとくいろんな買い物に付き合い、買わされ夕方
○ソニンのせいか、ちょっと胃にきていた私
今夜は、鍋でもと・・・スーパーに足を向けたその時
携帯が鳴りました。
母の容態が急変、すぐに来てくださいと
その足でタクシーを拾って・・・ホームへ
頭の中ではいろんな思いが重なって現れ、最悪の事態も考えたりしました。
父と弟にはホームから連絡をとってくれると言ってたけれど、間に合うかしらなんて・・
遠く感じた距離も時間にしたら40分くらいかな。
料金を払うのももどかしい気がしながら・・・慌ててホームへ。
部屋に入ると、父は来ていて、母は目もキョロキョロ大丈夫なようです。
ホッと胸をなでおろしながら、「来たよ」と母の手を握りました。
一時は、椅子に座った状態でぐったりとなって、血圧がものすごく下がり意識がなくなって
いたそうです。父は、ホームの施設長が車で迎えに行ってくれたようで(車なら5分くらい)
父が着いたとたん、血圧が上昇してたとか。
しばらく、傍にいましたが、母から、「みんな元気か」と言葉も出てきたので、後はお任せして帰ってきました。
そこで、夕食を食べていなかったことを思いだし、駅前のうどん屋に。

それにしても、ドキドキしました。
高齢ですし、心臓や肝臓も弱ってきているので、覚悟はしておいてくださいとは
言われていたもののやっぱり慌てますね。娘が横で「親を亡くすことにおいては
私が先輩やから、頼ったらいいよ」なんて言っていました。確かに・・・そうですが・・
弟には何度も電話したけれど、ダメだったと施設長が言われていました。
私も行く途中のタクシーの中でメールしたけれど、何の反応も無かったし
仕事中かと思いましたが、もしもの時どうするのだと思いながら、帰宅後
伝えてもらおうと義妹の携帯に電話・・・・これまた。電源が切られている様子。
仕方なく、甥っ子のどちらかでもいればと、自宅にかけてみると・・何と、出たのは弟。
休みだったようで、携帯は音が出ないようにしてるし、義妹はもう寝ていて(まだ、9時半でした)携帯は切ってあるとのこと。
母の事を伝えて、仕事か休みかはこちらは判断できないのだから、携帯には
留守電が入るようにしておくこと、時々チェックすること、義妹にも伝えておくこと。
と、話しました。

「すぐ来てください」という電話に慌てないよう考えておくことって
必要ですよね。
まあ、何はともあれ、母が持ち直してくれてよかったです。

いつまでも続く痛みに昨日午前中整形にかかって、レントゲンを撮りました。
首のヘルニアからくるもののようで、とりあえずリハビリと痛み止め、胃薬、ビタミン剤
湿布をもらってきました。また、しばらく通院しないといけないかなと思っています。

2014年1月 4日 (土)

出発進行

三が日も終わり、普通なら仕事始めですが
土日になったことで6日始めの会社もあるでしょうね。
私も正月気分をとっぱらって、今日から勉強を開始しましたが
やっぱり一度緩んだ体と頭はなかなかエンジンがかかりません。

では、ちょいとお正月を振り返って・・
我が家のお正月は元旦に凝縮されました。
みんなの集合日は、正月とか祭日とかに関係なく仕事のある弟の休みの日に
いつの間にか合わせるようになりました。
まずは、途中で私を拾ってもらって、父の待つ実家に
弟夫婦と甥っ子二人と私
弟と私で母のホームへお迎え・・・何が起こったのか、きょとんとしている母
でも、家に着くと表情も嬉しそう
久しぶりに、私や弟の名前も呼んで(忘れてたのに)しゃべりだす

そうこうしているうちに元旦は婿殿の実家でと言っていた娘夫婦も
お義母さんから「挨拶してらっしゃい」と午後から合流
中国からの帰国ができなかった息子を除いて、全員集まったことに

まずは、仏壇に挨拶して、弟達と年始回り4軒
いつも、両親(今は主に父だが)を気にかけてもらっている親戚なので
これは抜かせません。従姉妹の子供達にはお年玉。

それから、お祝いの膳を囲みました。母は時々横になったりもしながら
特別注文の伊達巻を三つも・・美味しそうに食べていました。
車の運転があるので、お屠蘇無しになってしまったけれど、父は寂しかったかも。
弟一家は無口だし・・父も今いちで・・・娘は旦那様と一緒なので少し控えめ・・私は腰痛我慢しつつと・・・・人数の割には静かなお祝い膳になりましたが。
と・・・・娘のお義母さんから電話。二人は早々と帰りました。ああ、もう、これからは
そうなるんですよねえ。

日が沈んでくると、父は布団を敷いて寝る準備に・・・義妹と二人で片付けををして
弟とホームへ母を送って行きました。半分は寝ていた状態だったので、母にとって
どうだったのかわかりませんが、よく食べてしゃべってもいたし、日頃は大きくなって
しまった孫たちともあまり会えないし、年始回りに行った親戚の叔父や叔母も顔見きてくれたし、・・・やっぱり連れて帰ってよかったのかなと思いつつ、終了。

2、3日は、お節の残りをつつき、近所の神社に行ったり、のんびり過ごしました。
昨日の夜の便で博多に帰った娘からは、今日電話があって・・・・
婿殿の実家での本格的手作りお節のこと、婿殿の祖父母、両親、義妹夫婦と
嫁として気遣い最高潮でクタクタの4日間になったようです。うんうん・・・と話を聴きながら
がんばったねえとねぎらいました。なんとか、一山超えたという感じでしょうか。

あら。こんな時間。今日は、カレーでも食べたいなと思っていたのに。
では、急いで夕食の準備に・・・
普段の生活へと出発進行~~~ですね。

 

2013年12月31日 (火)

一人で過ごす年越しから新年へと

__


初めてが・・・また・・・一人で年を越す

今、宅配便が来て・・・もう、年を越すまで訪れる人もいないから、ポーチもお正月のしつらえにしてきました。

いつもの夜に比べると、外はやっぱり静まり返っています。

4、5日前から久しぶりの腰痛が出て、それでも、小掃除の仕上げのトイレ、洗面所、お風呂をしました。

昨晩は、娘が泊まって行きました。お昼に、婿殿が迎えにきました。その時、ちょこっとお互い挨拶を交わしました。顔見るのは、3度目です。

そして、婿殿の実家で年を越し、お正月を迎えます。行くのも初めてなら、お泊りも初めて・・緊張しているみたいです。妹さん夫婦も帰っているということで、おじいさん、おばあさん合わせて8人・・・賑やかでしょうねえ。

おじいさん、おばあさんには、これ・・・お父さんには、これとお土産の指定がお義母さんからあったとか・・・あらかじめ注文していたものもあって・・・「かなりになったわ」と娘。でも、まあ、お正月飲み食いさせてもらうのですからね。そこで、ちょっと・・・お義母さん、向こうのお母様(私)・・一人で過ごしてられるんだから、お土産持っていくのよって言わなかった?って聞きました。「ううん・・全然。・・・一人とか、寂しいだろうとか・・そんな事は思ってないと思うよ。家族がいるうちは、いなくなったらなんて想像もしないから、そう言う人の気持ちはわからないの。」と娘。ああ・・・そうなのか。「お母さんだって、お父さんがいたら、わからなかったと思うよ」と。そうだろうな・・・そうなんだ。妙に納得した私でした。

経験をするということは、どんな理屈にも代えられない成長を与えてくれるのかもしれないですね。

明日は、私は実家に行く予定です。弟一家がくるので、母も迎えに行って一緒に元旦を過ごします。息子が帰国できたらよかったのですが、先月、夫の法要で帰っているのでちょっと無理なようです。

と・・・・書いていると娘から電話。(もう、音をあげたのか??)
すると、明日のことを聞いたお義母さんが、あなた達も挨拶してらっしゃいと言われたとかで
急遽、行くと・・・へっ!そんな急に。ということで、義妹(弟の嫁さん)に直接電話して、挨拶したいからって言いなさいと娘に。(その方が感じいいでしょ)
娘夫婦も、午前中に向こうで挨拶を済ませ、実家に来ることになりそうです。
なかなか、こっちも賑やかになりそう。親戚への年始の挨拶も連れて行こうかな。

それにしても、心配なのがこの腰。
今夜は、お風呂でゆっくりと温めて、早目に休むことにします。

今年は、たくさんの励ましや暖かい言葉をありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

みなさま、どうか、よいお年をお迎えくださいませ。

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2013年12月25日 (水)

一人で過ごすクリスマス・イブ

__今年は、ほんとにほんと、一人で過ごすクリスマス・イブ・・・。ちょっと・・・いや、かなりかな、ショックなことがあって・・思い切って自分のためにクリスマスケーキを買いました。1番小さいのにしたけれど、それでもやっぱり大きくて
一人では食べきれず・・・・後は、冷蔵庫に。明日のお楽しみ。

毎週あった講座の実習も今日が最終日。後、もう一日26日が今年の講座終いの日です。
ああ・・よく、がんばったねって、自分で自分を褒めつつ。ゆったりと夜を過ごしました。
今日は何も考えられず、ただただ、ぼうっと・・・・・
さっき、やっとここに来てみると、ココログのお友達が訪問してくれていたことを知りました。
ごめんなさい。ありがとうございます。
人間生きていると、こんな日もあんな日もありますよね。

よしよし・・・って、自分で自分をなでなでしてあげる日だってあります。

さあ、ゆったりとお風呂に入って、気持ちのもやもやを流してきますね。
どうか、みなさん、素敵なクリスマスをお過ごしください~(o・・o)/

2013年12月20日 (金)

人生の逝き方

私にとって
大きな存在だった方が亡くなった
上司であり、仲人であり
憧れの人でもあった
出会って40年近くもお付き合いさせていただいた
亡夫にとっては恩師、私にとっては上司
もしもこの方の紹介でなければ、私たちは会うことさえなかっただろう
「俺の知っているのにせい」と言って
ずっとその後も気にかけていただき、家族揃って毎年年末は
餅つきにも呼んでいただいた
奥様もいい方で、私が婚家を出るようになったときは
「私たちの近くにおいで。子供さんみてくれる人探すから」とまで
言ってくださった。
この方を慕う人は多く仲人されたのも10では済まないだろう
一度だけ・・・本当に寒い冬の夜・・・・いきなりぎゅっと抱きしめられたことがあった
大きな体から伝わる暖かさは、今も忘れない。

その方の『死』は思わぬところから知り・・・もうすでに一ヶ月になるとわかり呆然とした。
当然駆けつけるであろう多くの人の顔を思い出しながら、なぜ・・・誰も伝えてくれなかったのかと思った。何日間か、何も考えられなかった・・・そして、同じように仲人をしてもらった
友人に電話をかけた。彼女も知らなかったという・・・・それが、その方の遺言だったとか。
入院する前から「死んでも誰にも知らせるな」何度も。式に出たのは、ご家族以外は
たった一人の友人で、その方から終わってから知らされたのだという。そして、式後、
奥様もお屋敷を出られてお子様の元へ・・・・・それも住所は内緒だとか。

なんと、最期まで格好いい人なんだろう。その方の歩いてこられた人生を思うと
たぶん・・・何百人・・・いや、もっとか・・の人が参列しただろう。
いつも、退職届を胸に入れて仕事をされてた・・「どんな事でも言って来い。受けてやる」という本当に頼りがいのある上司であった。やんちゃな所もあって、奥さん泣かせだったと
ご自宅でご馳走になったときお二人から聞いたっけ。
60年以上も連れ添った奥様のお気持ちを思うと、今は、静かに、それぞれに
冥福をお祈りしようと友人と話し、電話を切った。

人、それぞれ、誰もが最期を迎える。
多くの人の中に、豪快で優しい笑顔を残し、誰にも知らせず旅だった人。
いつまでも私の心の中に生き続ける人になった。

そういえば、その方の誕生日はクリスマスイブだったな。
机に薔薇を飾ったら喜んでくださった・・・たくさんの思い出を
心の中にそっとしまっておこう。

言葉で伝えられるもの

「言葉が伝えられるものは
その思いの7~8%に過ぎない・・・」
社会言語学という聞くだけでも頭痛がおこりそうな
講義の時間の一コマ
えっ!それだけなの・・・と驚いた私
まあ、それは人間が言葉の向こうにある思いを感じ取れなければだ。
特に、日本は、皆まで言うなという文化だからよけいに大変だ。
もちろん、直接会って、会話できたら
その表情、動作、声の調子でいろんなものを受け取ることができる。
電話では、・・・・大丈夫よって言ってても、声の元気のなさで全然大丈夫そうじゃないって
わかる時もある。
しかし、このネットを利用したメールやブログはどうだろう。まさに言葉だけの手段。
もしかしたら、現代人はこの文化の発明によって
言葉の奥にある思いを想像できるかどうか、試されているのかもしれない。
それができなくなったら、人類は破滅の道を歩むかも。
ちょっと、オーバーかな。

最近、よくお互いのブログを行き来していた人と決裂してしまった。
それまでのことを思うと、本当に簡単に。
私がその人の思いに沿えなかったから・・・。
メールを出したが、返事はもう返って来なかった。
あっ!という間の出来事。

思いを感じとってもらえなければ
私のメールは、ゴミ同然・・・たった、7~8%のものに過ぎない。
分かって欲しいと見つめる表情も、何度もチェックをしてメールが届いてないのを
知ったときのがっかりした顔も・・・もちろん、届かない。
そう・・・・感じ取れなかったのは、私だ。

難しいな、言葉って
勝てないな・・・生の声や表情には

でも、やっぱりこうして書かずにはいられない
なぜだろうな。

2013年12月16日 (月)

明日は忘年会・・・なんだか久しぶり

明日は講座の忘年会
夏の飲み会も秋の登山もパスしていたので
今回を逃すと、後一ヶ月少しの私は機会がなくなってしまうかな
と思い、参加の返事をしました。
仕事をしている間は当たり前のようにあった忘年会も
閉じこもると・・・無しになっていました・・・まあ、当たり前ですが・・・

しかし・・・なぜかなあ・・・
あのアルコールが入ってやたらとハイテンションになった人々
特に女性が大声あげて、くだを巻いているのがどうも見づらい
本当に酔っているのか、酔に任せてしなだれかかっているのか定かではないが
それは、私自身がアルコールに弱いため冷静に見てしまうからなんだろうな
酔えない自分ってつくづく損だなって思う
明日は、どんな会になるのだろうか

せめて一次会は楽しみたいな
ちょっとだけ私もアルコールを飲みたい・・・・しね。
おしゃべりもしたいし・・・・お料理もねえ。

さて、明日に備えてもう寝なくっちゃ。
体調が悪いと・・・一杯でダウンしてしまうものね。
では、おやすみなさ~~~い。

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